●Profileで見る神奈川県出身。東京大学農学部水産学科卒業後、1988年外務省入省。漁業室長、緊急・人道支援課長を歴任。カンボジア、インドネシア、スイス・ジュネーブなど、多くの在外公館での勤務を経て、2018年、独立行政法人国際交流基金・総務部長。20年9月、在ホノルル日本国総領事館・総領事に着任。また、言語や文化、習慣が異なる国で生活すること自体が大きなチャレンジですが、学びから得るものはそれ以上に大きい。私自身、1年間アメリカに留学していたことがあります。生活習慣やコミュニケーションの取り方など、さまざまな部分で文化や価値観の違いを痛感する場面が増えてくるのは否定できませんが、排他的にならず、お互いのそうした差異を受容する寛容性を持つことが重要だと感じました。■ハワイと日本を結ぶ歴史・移民史Wednesday, August 25, 2021「元年者」がハワイ上陸1871年1868年「日布修好通商条約」締結「官約移民」がハワイ上陸1898年1885年1924年アメリカがハワイ併合「真珠湾攻撃」で太平洋戦争勃発「新移民法」日本無条件降伏、終戦1941年1945年日本からの海外渡航自由化1964年The Shinro Shimbun Hawaii Edition「移民」16 1885年創設という長い歴史を持ち、在留邦人の方々の保護と、日本とハワイ州の関係の維持・発展に向けた活動を行う在ホノルル日本国総領事館。2020年9月、そのトップに着任したのが青木豊総領事だ。着任前には国際交流基金の総務部長を務め、新しい「日本語基礎テスト(JFT-Basic)」の開発、実施に携わった。日本留学・日本語学習に対して熱い思いを抱く青木総領事に、現地の日本留学希望者・日本語学習者に向けたメッセージをいただいた。 19世紀、砂糖産業が隆盛を極めていた当時のハワイ王国では、サトウキビ栽培のための労働力需要が高まっていた。また、ネイティブハワイアンの人口が減少していたことを踏まえて、外国からの移民を積極的に受け入れることを決定。日本からは1868年、153人の日本人が移民としてハワイの地を踏んだ。「元年者」と称されるその一団は〝日系ハワイ人″のルーツと考えられている。―総領事としてのご活動を教えてください。在べてホノルル日本国総領事館は、1885年、日本政府と当時のハワイ王国の取り決めに基づいた最初の日本移民のハワイ到着と共に、日本移民の保護、各種の手続きのために開設されました。現在もハワイに住む日本人の方々の保護が重要な任務であることに変わりはありませんが、アメリカ国籍となった日本移民の子孫、日系人の方々との関係を重要視し、また、政治・安全保障、経済、文化などさまざまな分野にわたる日本とハワイの関係をさらに発展させるために活動しています。式べて典やイベントへの参加などを通してハワイ州政府や現地の方々との交流を深めることが職務の一つなのですが、昨年9月の総領事着任後は、やはり新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大防止のため、従来行っていた式典などが中止に追い込まれてい 71年に「日布修好通商条約」が締結され日本とハワイは正式に国交を樹立した。その後、一時的に移民事業は中断されたが85年には「日布労働移民条約」が締結され、両国間で定められた条件のもと政府が斡旋した「官約移民」がハワイへと渡った。住居と医療が整備されており、当時の日本の日払い労働者の賃金と比較して高額だったことから移民を希望する日本人は少なくなかっます。そうした社会的混乱の状況下にありましたが、動画配信も用いて開催されたのが、総領事館とアメリカ・ハワイ方面海軍との共催による「真珠湾攻撃戦没者追悼式典」です。太平洋戦争の悲劇の幕開けとなった、1941年12月7日朝の真珠湾攻撃で亡くなられたアメリカの方々、そして日本人兵士を追悼する式典です。両国の犠牲者の方々に思いを馳せ、弔意を表しました。―ハワイと日本はどのような関係ですか?OVID-19の感染拡C大前の2019年は、158万人の日本人がハワイを訪れました。日本の人口が約1億2千万人ですから、100人に一人以上の方が訪れたことになります。日本人のハワイ好きもすごいと思いますが、ハワイもまた、日系人が多いこともあり、さまざまなところに日本の文化が溶け込んでいますた。9年間で26回実施された官約移民の総数は男性が2万3,340人、女性が5,799人で、合計2万9,139人にも上った。 98年にハワイ王国がアメリカに併合され移民を取り巻く環境が変化した後も日本から多くの移民がハワイに入植した。サトウキビのほかにもコーヒーの生産に従事する者、契約労働を満了して都市部に移り住み商店を営む者など、日本人移民はハワイ現地での暮らし、日本に好感を持ってくれていると思います。実際にハワイで生活して感じるのは、ハワイの方々が持つ「アロハの精神」の素晴らしさです。現地のみなさんが優しく、思いやりを持って接してくれていることを実感し、感謝しています。そうしたところがハワイの最大の魅力の一つでしょう。―「日本語基礎テスト」を開発した際のお話をお聞かせください。総べて領事着任直前の2年間は、国際交流基金という組織で仕事をしていました。その時に新しく作成したのが「日本語基礎テスト(JFT-Basic)」です。日本において介護、宿泊、外食といった産業で働きたいと思っているアジアの国々の若者たちのために「特定技能」という在留資格が新設されたことに合わせて作られたものです。日本で働き、生活していく上では、ある程しをより発展させていった。1924年には、「新移民法」により移民が禁止され、日本に帰国をするとハワイへの再訪がかなわなくなるという事態に直面したことから、日本人はハワイでの定住を意識し始めた。 そうした中、80年前の1941年には、日本側の「真珠湾攻撃」を契機として太平洋戦争が勃発。民族間の亀裂が顕在化し、一部の日系人は拘束を受けるなど戦時中は厳しい状況に置かれたが、日系人志願兵による第442連隊の活躍もあ度の日本語能力が必要です。少し専門的な話になりますが、ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)の「A2」レベルに達しているかを判定するテストとなっています。日本語基礎テストはアジアの国々で実施されており、残念ながらハワイでは受験できません。自分は、海外の優秀な方々にどんどん日本で働いていただくために、マイク・テストを取り入れたり、AIを利用したりして、より高度な日本語能力、CEFRでいえば、「B1」や「B2」のレベルを判定する日本語テストができれば良いと思っています。ぜひともhttps://www.jpf.go.jp/jft-basic/e/about/index.htmlにアクセスして詳細を確認して欲しいと思います。―日本語学習・日本留学のメリットはどこにあるとお考えですか?文法の構造などから、日本語は学習するのが難しい言語だと言われることが少なくありません。しかし、だからこそ日本語学習はやりがいがあり、マスターした時には達成感があふれるのではないでしょうか。国際交流基金のウェブサイトには、現在、日本で活躍されている外国人の方々のインタビュー記事が掲載されています。日本に関心を持った理由、日本語の勉強方法、現在の日本での生活などといった、参考になる話がたくさんあると思いますので、ぜひとも、ご覧いただければと思います。り、終戦後、日系人は次第に信頼を取り戻し、52年には「新移民国籍法」が制定され日本人に帰化が許されるなど、ハワイにおける日系人の社会的環境は向上していった。64年の海外渡航自由化により、日本―ハワイ間での交流がさらに深まるようになった。 こうした長い歴史を経―日本留学希望者に向けてメッセージをお願いします。いままでお話をしてきたように、ハワイは日本との親和性が高く、日本とアメリカをつなぐ役割を果たしています。さまざまな歴史や価た現在、日本とハワイは友好的な関係を築いている。ハワイと姉妹都市提携を結ぶ日本の都道府県・自治体は少なくなく、日本文化の浸透、日系人の活躍等、親密性の高さが垣間見える。日本留学を希望するハワイの若者には、両者の発展を牽引するグローバル人材となることを期待したい。値観を共有していることからも、日米関係は世界の中においても重要であると考えています。日本語を学んだハワイの若者のみなさんには、そうしたことを踏まえて日本とアメリカの架け橋となっていただくことを期待しています。日本の外務省は、「国費外国人留学生制度」のプログラムを用意しています。総領事館では、大学院レベルの専門教育を受け、研究をする「研究留学生」、日本語・日本文化に関する学部レベルの学習を行う「日本語・日本文化研修留学生」、専門的技術の修得を目指す「専修学校留学生」のプログラムを実施しています。そうした諸制度の活用も考え、日本留学への一歩を踏み出していただければ嬉しく思います。青木 豊 総領事日本留学で価値観を広げ、多様性を受容する寛容性を持とう日本とハワイ、友好の歴史
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