No.12, 2022[ Summer Special Issue]The Shinro Shimbun Hawaii Edition14 ハワイ州のマウイ島で生まれ、日本人の母と共に幼少期を過ごしたクリスティーン・内田さん。日本に興味を持ち、大学時代に日本留学を果たした後、現在は日本語教師としてハワイの高校で活躍中です。 クリスティーンさんに、現在のお仕事内容ややりがい、大学時代の思い出などをうかがいました。コラム●Profi le1983年、アメリカ合衆国ハワイ州マウイ島生まれ。日本人の母をもち、幼少期をマウイ島で過ごす。2001年に高校を卒業後、ハワイ大学(米国・ハワイ州)で日本語を学ぶ。授業の一環として04年の春から1学期間、日本の同志社大学(京都市)へ留学。ハワイ大学卒業後、日本語教師の資格取得のために大学のプログラムに参加、06年12月日本語教師資格取得。その後JETプログラムに参加、日本の和歌山県で英語授業の補助にあたり、帰国後は日本語教師としてアイエア高校(米国・ハワイ州)で教鞭を取っている。高校卒業後も日本語を学びたいという生徒も少なくない日本を象徴する文化の一つ「浴衣」を着て気分は最高 クリスティーン・内田さんが学生時代に参加していた「JETプログラム」の「外国語指導助手(ALT)」とは、教育委員会や公立・私立学校で所属長や学校長の指示を受け、外国語担当指導主事または外国語教員等の助手として職務に従事する人のことです。配属先は、日本の小学校・中学校・高校や教育委員会等に配属され、外国語担当教員の外国語授業の補助や地域における国際交流活動への協力などで活躍しています。 そうしたALTの魅力が最も発揮される場面は「ティーム・ミーティング」そろばんなどを学んでいたこともあります。―現在のお仕事についてふれてください。日本語教師として、ハワイ州のアイエア高校で生徒たちに日本語を教えています。です。日本人の教員とALTが力を合わせて、それぞれの得意分野を活かして、魅力ある効果的な授業づくりを目指し、これを実践していきます。また、ALTと一緒に給食を食べたり部活動に参加したりすることで、児童や生徒が「もっと話したい!」という気持ちになることが、児童・生徒のコミュニケーション能力を高める第一歩となります。 平仮名や片仮名、漢字のほか、レストランで食事をする場合や買い物の場面、あるいは旅行など、さまざまな局面での日本語の話し方などを教えています。そのほか、日本の料理や文化など、生徒にとって興味が持てそうなテーマやトピックなどを毎年少しづつ変えながら授業を進めています。―日本語の先生なのですね。日本語の教師になるまでにどのようなことを学びましたか?振り返ると、幼少期の経験から日本や日本文化に興味を持つようになり、2001年に高校を卒業した後はハワイ大学に進学して、そこで日本語を学びました。 授業の一環として留学する機会があり、2004年の春に1学期間、日本の同志社大学に短期留学し、日本語を学びながら充実した毎日を過ごすことができました。日本語教師になることを決意したのは在学中のことで、ハワイ大学を卒業した後は教員養成のプログラムを受講しました。―アイエア高校で働くきっかけはどこにあったのでしょうか?JETプログラムに参加した後、ハワイ大学で知り合い、アイエア高校の日本語教師として働いていた友人がオーストラリアに引っ越すことになり、その代わりとして働き始めました。―お仕事のやりがいをあげていただけますか。教え子である生徒が日本語を学んで成長している姿に接するとやりがいを感じます。高校卒業後も日本語を学び続けたいという生徒がいると、この仕事をしていて本当に良かったと思います。―アイエア高校は、日本の高校生との交流が盛んだと聞きました。日本の広島県にある広島井口高校と姉妹校であり、交流も活発です。その中でも、両校の生徒同士が手紙の交換をしたり、直接会って交流をしたりしていた時のことが印象に残っています。手紙は授業中に書き、郵送で日本に送り、広島井口高校の生徒から返事をもらうというスタイルで交流を重ねていました。新型コロナウイルス感染症の感染が拡大してから―ハワイと日本の若者を結ぶ重要な役割を果たしました。手紙交換が終わった後も、生徒たちがLINEやEメールでやり取りしているという話を聞くと、日本とハワイの生徒がつながるきっかけをつくることができたのだと実感し、嬉しくなりますね。新型コロナ禍以降は生徒が直接会う機会をなかなかつくれずにいますが、またいつかそうした機会を設けたいと考えています。―日本に留学して良かったことについて教えてください。最も良かったと思うのは、他国の学生と一緒に日本語を勉強できたことです。勉強を頑張った後は、周辺を観光して日本を満喫していました。また、自分たちでニュース番組を作るという課題があったため、そこでビデオの作り方を習得することができたのが、実践的でとても興味深いものでした。留学先は京都でしたので、京都の寺院や神社にはたくさん足を運びましたし、美味しい料理をたくさん頂戴しました。自転車で1時間くらいかけて目的地まで行ったこともありました。―日本食も問題なく大丈夫だったのですか?日本食は、母が作ってくれていたこともありハワイで暮らしていた時から大好きで、特に「うな重」や「寿司」は大好物です。また、京都には、日本酒からできた「酒粕」を使ったラーメンがあり、とても美味しかったのを昨日のことのように覚えています。―日本留学を考えているハワイの高校生にメッセージをお願いします。若いうちにできることを頑張って欲しいと思います。自分がやりたいことには何でも挑戦できるというのは若者の特権です。 「将来何をしたいか分からない」という高校生も、さまざまな人と出会い経験することで、自然と取り組みたいと思うことが見つかって来るのではないかと思います。日本語や日本文化がごく身近な環境大学の在学中に日本語教師を目指す―これまでのご経歴をお聞かせください。私はハワイのマウイ島で生まれました。母が日本出身で、小学校1年生から中学2年生くらいまではアフタースクールで日本のプログラムに参加していて、日本語や生徒が成長する姿が最大の喜び若者はやりたいことにぜひ挑戦をは、インターネット経由―外国語の指導助手で書いた手紙を写真で(ALT)のご経験もおあ撮って送るなど、デジタりだとか。日ルな方法で進めるように本語教師としての資なりました。格を2006年12月に取得した後は、日本の文部科学省が主導する外国語教育の充実と地域の国際交流の推進を図る「JETプログラム」に参加しました。そのプログラムの中で、外国語の指導助手(ALT)として、日本の小学校と中学校で授業を運営するアシスタントとして働きながら日本語や日本文化について学びました。授業では日本の生徒たちに英語の発音等を指導していました。ALTとはどんなことをするの?Special InterviewSpecial Interviewクリスティーン・内田さん日本語や日本文化との出合いが日本語教師を志す契機に日本語を学ぶ生徒の成長を実感できる瞬間がやりがい
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