進路新聞ハワイ版13号
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No.13, 2023[ Spring Special Issue ]The Shinro Shimbun Hawaii Edition●Profi le1992年、東京都世田谷区生まれ。フランス料理に興味を持ち、高校卒業後に服部栄養専門学校の夜間課程に進学。昼間にレストランで働きながら専門学校に通い、料理の知識・技術を身につける数年間を送る。2013年、「NARISAWA」就職。21歳で渡米し、「Bouley」にて2年間修行を積む。その後、「La bourse et la vie」(フランス・パリ市)で修行し、ハワイへ。現在は、サステナブルレストラン「natuRe waikiki」(米国・ハワイ州)のエグゼクティブ・シェフ(料理長)を務める。後渡米してニューヨークにあるBouleyというレストランで修行を重ねました。そこからさらに、もう少し海外で経験を積みたいと思い、本場フランスに行きました。フランスではスーシェフ(副料理長)を務めました。さて、次はどうしようかなと考えていた時に、ハワイのフランス料理店がスタッフを募集していると聞き、新しい土地で挑戦してみようと決意しハワイに渡りました。――さまざまなお店と土地で経験を積んでいらっしゃいます。特に印象深いエピソードをご披露ください。高級料理店として知られるNARISAWAが強く印象に残っています。入職してからが大変でした。料理・技術を学んだというよりは、スタッフが一丸となって常に全力で料理に向かう姿勢や、仕事に対する厳しさなどを学ぶことができ、私の大きな軸の一つになりました。めての海外経験は初ニューヨークのBouleyでしたが、言葉や文化の壁など、すべてが刺激に満ちていました。NARISAWAで学んだ仕事を活かした働き方を評価していただけたのだと思います。技術と共に強さを身につけた2年間でした。パリは本場の料理の技術という点で学ぶことが数多くありました。ありがたいことにシェフと二人だけのレストランを持ち、それまでの料理・修行の経験を活かせる場所でした。――日本の専門学校時代を振り返ってください。料理人になりたいという同じ想いの人たちが集まったため、仲良くなったり励まし合ったりすることができた環境は自分の中で良い経験になりました。でも、いま振り返ると、その時にもっと夢を大きく持っていても良かったかなと思います。学生時代はさまざまな可能性があるため、夢を持ち信じて頑張って欲しいと思います。いま学生として学んでいる人たちには、そう伝えたいと思います。――具体的なお仕事内容と、一日の大まかなスケジュールについて教えてください。主な仕事内容は2カ月に1回変わるコース料理のメニューを考案することです。また、「ナチュール・ワイキキ(natuRe waikiki)」はサステナブルレストランをコンセプトにしているため、いま余ってしまっている食材の情報交換など、地元の農家との交流もあります。一日の大まかな流れは、ディナーの営業が夕方5時半に開始するため、正午前後に出勤してその仕込みに取りかかります。まかないを食べてキッチンに立ち、サービスが始まります。夜10時がラストオーダーで片付けをしたあと、11時頃には帰宅します。作業の中で最も大変なのはやはり仕込みです。また、これはハワイ特有の悩みかもしれませんが、私たちは特に地元の農家と提携をしているため、食材調達が天候に左右されます。食材が来ないことがしばしばあり、そのたびにメニューを変えたり、考えたりといったこともあります。――現在のお仕事のやりがいや魅力はどこにありますか。ハワイが自然豊かなのはその通りですが、一方自然破壊が進んでいるのも事実で、料理人として自然を守っていきたいというのが私の一番の願いです。自然破壊に関わる課題を発見し、その解決につながる施策や手段を考案するなどしてハワイをサポートするのがいまの私の最大のやりがいです。また、ハワイの自然の魅力や現状に関するメッセージを料理に持たせるのも私のパッションにつながっています。私はハワイの自然からインスパイアされることが多く、自然の食材や素材を積極的に使用したり、メニューの作り方や盛り付け方に反映させたりしています。その意味で、ハワイに来て、私の料理のスタイルは大きく変わりました。――お仕事をする上で大切にされていることを教えてください。飲食店で働き、また料理人である以上、お客様を幸せな気持ちにすることが第一だと私は思っています。ですから、どれだけお客様に喜んでいただけるのかということを最優先に考えています。その上で、いかに料理を通して自然に対するメッセージやハワイの魅力を伝えていけるのかという視点を大切にしています。――ハワイの食材をフランス料理の伝統技法で提供する「ナチュール・ワイキキ」で料理長を務める中、どのような気づきがありましたか。ハワイの食材をフランス料理の洗練された調理技術で美味しくするというやりがいがあります。日本と違い食材が無尽蔵に手に入るわけではないため、手もとにある食材をどう美味しくしていくかを考えることが重要です。その意味で、料理の仕方が変わったのは個人的に大きな変化でした。また、地元の小さい農家から余っている食材を購入すると感謝の声をいただくこともあり、本当に地域に貢献できているという実感と喜びがあります。加えて、ハワイは比較的カジュアルなお店が多く、高級料理店はイタリアンや和食等に限られます。私たちのように、ハワイ現地の食材でフランス料理を提供しているレストランは少ないため、新しい文化や驚きを広めていくのも刺激的ですよね。――海外経験を経て大切だと感じた点や心構えなどを教えてください。私は英語を全く話せない状態でニューヨークに行きました。そこからいえるのは、一番大切なのは気持ちの持ち方と楽しむことだということです。自分が知らない世界や文化を知る楽しさに何よりも魅力を感じました。いまはお客様と対面しながら料理を提供しているため、料理から会話が弾むこともありますし、それ以外のシーンからコミュニケーションが始まることももちろんあります。言語ではなく、新しい文化や異なる文化を通して、広い世界を楽しむという気持ちが最も大事だと思います。 日本の調理系の専門学校に進学して卒業後、日本や米国、フランスの著名レストランで修行を積んだ小川苗さん。現在は、ハワイ現地のサステナブルかつ魅力的な食材をフレンチ料理として提供する「natuRe waikiki」でエグゼクティブ・シェフ(料理長)を務めています。現在のお仕事のやりがいをはじめ、海外のレストランで働いてきた中での印象深いエピソードや若者に向けてのメッセージなどをうかがいました。「世界の広さを知る楽しみを見つけてもらいたい」と話す小川苗さんハワイ現地の食材を使い、自然環境に配慮したメニューを考案するnatuRe waikikiエグゼクティブ・シェフ――現在のお仕事に就こうと思ったきっかけについて教えてください。私は東京都世田谷区で生まれました。家族が全員画家という芸術一家で生まれ育ったためか、私も小さい頃から「ものづくり」の一環で母とお菓子づくりや簡単な料理づくりを楽しんでいました。高校生の時、アルバイトをしていた飲食店がリニューアルオープンして、フランス料理を提供する業態のお店に変わりました。フランス料理に初めてふれたのがその時でしたが、とても感動して、私自身がフランス料理をつくれるようになりたいと思ったんです。その後、服部栄養専門学校の夜間課程に進学しました。昼間はレストランで働き、夜は専門学校で学ぶというまさに料理づくりだけに集中した数年間でした。卒業後はNARISAWAという東京都港区にあるレストランに就職しました。その8小川 苗 さんSpecial Interviewハワイの豊かな自然から着想した美味しい料理を届ける自然環境に対する想い入れやメッセージを料理に込める

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