現在は幼少期から大好きだった絵画や芸術など、アーティストとしての活動に力を注いでいます。好きなことをしているため、毎日が本当にあっという間に過ぎ去っていき、とても充実した日々を過ごしています。今後も日本やハワイに関わりのある作品をたくさん作っていくことが目標です。特に、私のルーツとも言える沖縄に関する作品制作にいつかは取り組みたいと考えています。そして、作品を通して観ている人たちに笑顔や幸せをお届けしたいと思っています。日本語は意味の近い言葉が多いため、それらを理解できた時は楽しい気持ちになりました。例えば、「刺激的な」や「興奮する」という言葉は、英語では両方とも「exciting」になりますが、日本語では複数の言葉が存在します。同様に「嬉しい」や「楽しい」についてもどちらもポジティブな言葉ではありますが、微妙なニュアンスの違いや使い方が分かった時は自分の成長を強く感じました。日本で生活したことによって日本人の友人をたくさん作ることができました。実は今度、福岡県に旅行に行くことが決まっています。当時の友人と会って和食を食べたり、大好きなカラオケに行ったりしようと計画していて、いまからとても楽しみにしています。カラオケは福岡県出身の松田聖子さんや、福岡市出身の草野マサムネさんがボーカルとギターを務める大人気バンド「スピッツ」の曲が十八番です。また、日本の眼鏡はハワイで購入するよりもリーズナブルな上に品質が良いため、ぜひ購入したいと考えています。私はハワイ州マウイ島の中央部北地域にあるワイルクという町で生まれ育ちました。ワイルクはカフルイ空港から西に数キロメートルの位置にあります。マウイ郡庁があるため、行政や政治の中心地として栄えています。また、さまざまなショップやアートギャラリー、レストラン、カフェ、スーパーマーケットなどが建ち並んでいて、生活をするにはとても住みやすいエリアです。曽祖父と曾祖母は沖縄からハワイに移住してきた移民でしたので、私は日系四世に当たります。そのため、幼少期から私のルーツでもある日本や日本語に興味があり、高校卒業後に進学したサンフランシスコ大学日本語を上達させるには、実際に日本に行ってナマの日本語にふれることが最も効率的な近道だと思います。私は上智大学への短期留学やJETプログラムによって日本に長く滞在していたこともあって日本語力を大きく向上させることができました。当時はボランティア活動として地元の高齢者の方々に英語を教えたり、公民館で清掃活動をしたり、学校のアートクラブで子どもたちと一緒に絵を描いたりと、地域のコミュニティに入って子どもから高齢者まで幅広い年齢層の日本人の方々と交流をすることができました。日本語を上達させたいと思っているハワイ在住のみなさんは、ぜひ勇気を出して日本に行って素晴らしい経験をたくさん積んでみてください。日本留学の夢をかなえて、日本とハワイの架け橋となる存在になれたら本当に素晴らしいと思います。幼少期から絵を描くことが好きでしたし、大学では美術学も専攻していましたので、現在はアーティストとして活動しています。2022年の11月にはザ・マウイアーツ&カルチュアルセンター(アメリカ合衆国ハワイ州・マウイ島)で「メイド・イン・マウイカウンティー・フェスティバル」という祭典が開催され、私もアート作品を出品しました。現在はマウイでとても有名な芸術家として知られるフィリップ・サバドさんの娘さん、ジャクリーン・サバドエイテルさんが手がけている「ワイルクアートスペース」という地元の展示場で私の作品が飾られていますので、芸術に興味・関心のあるハワイの方々はぜひ足を運んでいただサンフランシスコ大学は上智大学と姉妹校でしたので、大学3年次の夏休みの期間を利用して3週間ほど上智大学に短期留学をしました。その時は埼玉県でホームステイをしながら上智大学のキャンパスに通い、日No.16, 2024[ Summer Special Issue]The Shinro Shimbun Hawaii Edition6―ベイリー・オナガさんの出身とご経歴について教えてください。―大学在学中は日本に短期留学をされたとうかがいました。―日本人の学友との交流が続いているそうですね。―日本語を学ぶ上での苦労をあげてください。敬語の使い方は理解するのに少し時間がかかりました。英語にもビジネス現場で相応しいフォーマルな表現や、友人同士で話す時に使用するカジュアルな表現はありますが、日本語ほどハッキリした敬語はありませんので、相手によって言葉の表現を変えることの難しさを感じまし―反対に日本語を学んでみて楽しいなと感じたことはありますか?―現在は、ワイルクでアーティスト活動をされています。―今後の目標を教えてください。―日本語学習を頑張るハワイの若者に向けてメッセージをお願いいたします。温かく迎え入れてくれた埼玉県のホームステイ先での1枚 ハワイ州マウイ島のワイルクで生まれ育ったベイリー・オナガさん。大学時代に上智大学(東京都千代田区)に短期留学をしたり、「JETプログラム」に参加して福岡県の児童や生徒に英語を教えたりするなど、日本で生活をしていた経験もあります。ベイリー・オナガさんを訪ね、これまでの人生ストーリーをおうかがいすると共に、日本語学習を頑張るハワイの若者のみなさんに向けて応援メッセージを送っていただきました。日本滞在中は積極的に観光地へ足を運んでいたベイリー・オナガさん(●右から2人目)「メイド・イン・マウイカウンティー・フェスティバル」にアート作品を出展●Profi leハワイ州マウイ島にある町・ワイルクで生まれ育つ。サンフランシスコ大学在学中に、姉妹校である日本の上智大学に約3週間の短期留学を経験。大学卒業後は「JETプログラム」に参加し、福岡県の小学校や中学校、高等学校などで児童や生徒に英語を教える仕事に従事。現在は故郷のワイルクに戻り、幼少期から好きだった絵を描くことを活かして主にポップでカラフルなアート作品を制作するアーティストとして活動を行っている。「日本の鰻はとても美味しい」と語るベイリー・オナガさん(アメリカ合衆国カリフォルニア州・サンフランシスコ)では日本語学を専攻しました。日本語はもちろん、日本文化や日本文学、さらには日本の風習や慣習など、日本全般について幅広く学びました。また、幼少期から絵を描くことが大好きだったこともあり、大学の「ダブルメジャー制度」を活用して美術学も同時に専攻して学びました。本の歴史などの授業を受けていました。ホストファミリーは英語をほとんど話すことができなかったこともあり、コミュニケーションは基本的に日本語で行っていました。私も当時はあまり日本語を話すことができませんでしたが、「ホストファミリーと意思の疎通を図って仲良くなりたい」という気持ちがありましたので、短期留学中は日本語をしっかりと勉強し、帰国する頃にはとても親しくなれたことが良い思い出の一つとして心に残っています。―大学卒業後の様子も教えていただけますか?大学では日本語を専攻していましたので、日本の子どもたちに英語を教えたいという思いが次第に強くなり、「JETプログラム」と呼ばれるネイティブスピーカーが日本の学校等で外国人指導助手として働くことができる制度に応募しました。JETとは頭字語で、「The Japan Exchange and Teaching Programme」が正確な表記です。私は幸運にも合格して採用してもらえることになりました。2013年から約6年間にわたって福岡県の筑紫野市に住み、県内の小学校や中学校、高等学校、さらには特別支援学校などで児童や生徒に英語を教えるサポートをしていました。特に福岡県立太宰府高等学校と福岡県立武蔵台高等学校での生徒たちとの英語を通した交流はいまでも心に残っていますし、児童や生徒が英語に興味を持ち、コミュニケーションを通して少しずつ話せるようになっていく姿に接することができた時は、この仕事に就いて本当に良かったと、大きなやりがいを感じることができました。た。また、アメリカ人は自分の思いや気持ちをストレートに伝えることが多いため、本音と建て前の文化がある日本人とのコミュニケーションは最初のうちは本音で話してくれているのかどうか少し不安に感じることもありました。ければ嬉しく思います。Special InterviewSpecial Interviewベイリー・オナガさん短期留学とJETプログラムで日本の魅力を体感勇気を出して日本留学を実現させて欲しい!
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